公益財団法人 世界宗教者平和会議日本委員会

Heartful Message

こころの扉

平和な世界について考える

浄土真宗本願寺派副総務・WCRP日本委員会理事 弘中貴之

平和は、外的には、この世界からあらゆる争いがなくなり、社会の種々の問題が解消され、すべての人びとが安穏に生きていくことのできる社会のことであり、また内的には、生老病死の苦悩や不安を互いに支え合い、一人ひとりが安心して生きていける状況のことです。こうした平和理解は、宗教者だけでなく、人類全体で共有しうるものでしょう。

仏教では、平和実現の方法について、人問の根源的な在り方からの平和づくりを示しています。仏教は内面の問題を重要視する宗教です。自己の心の根底に潜む煩悩や愚かさが自覚され、各人がそれを克服していこうとすることが、一人ひとりの幸せを実現するとともに、社会の安穏を生むというのが、仏教の考える平和と言えます。

ただし、個人の内面に向かうといっても、他者への想いを軽視するわけではありません。釈尊は自己の解脱を実現した後、「一切衆生は安穏であれ、幸せであれ」と願って説法を開始されました。また、大乗仏教では、他者と共に生きることを宗教的な目覚めの内容とし、利他の精神、大慈大悲の心で「一切衆生」の幸せを願って生きる菩薩道を説いています。

一方で、現代の平和構築においては、内面からの方法にとどまらず、多様な方法が考えられており、その中には、軍事力の均衡によるものや、平和維持のための軍事活動も含まれます。現実に争いのない状態を作り出し、維持していくことは重要ですし、そのためには現実的な様々な活動が必要です。しかし、仏教は一貫して「殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。また他の人々が殺害するのを容認してはならぬ」と不殺生を説きます。また、仏典中の「律」においては出家者に対し、軍隊に近づいてはいけない、武器を持つ者に法を説かないといった記述があり、武力を否定する立場を明確に見ることができます。「律」は出家者を対象とした決まりであり、すぐさますべての者に適用できるかという課題は残りますが、『仏説無量寿経』の「仏が歩み行かれるところは、国も町も村も、その教えに導かれないところはない。そのため世の中は平和に治まり(中略)武器をとって争うこともなくなる兵戈無用(ひょうがむよう)」という世界が、仏救における平和の理想の姿であると言えるのではないでしょうか。

この現実社会は争いと苦に満ち満ちています。しかし、生きとし生けるものがすべて緑起していることを見つめていると、現実社会でどう生きていくべきかが、おのずから問われてくると思います。

(WCRP会報2022年10月号より)

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