公益財団法人 世界宗教者平和会議日本委員会

Heartful Message

こころの扉

マッチョでなく、おすそ分けのパワーで

WCRP日本委員会事務局次長 山越教雄

何やらこの頃、新聞の紙面では「敵基地攻撃能力(反撃能力)」とか「防衛費GDP比2%」とマッチョな言葉が飛び交っています。

政府は「国民の命と暮らしを守り抜く」(首相の施政方針演説から)との決意のもと、防衛力強化に努めてくれるのだと思います。しかし何となく、防衛力強化=軍備増強の単純な思考になっていないか心配になります。

日本は戦後、一度も他国と戦争することなく過ごしてきました。それはやはり、憲法9条のもと専守防衛を掲げてきたからに他ならないと思います。武力行使を放棄し、他国の脅威にはなりませんという宣言であったからだと思います。このことを「安心供与」と言うそうです。相手国に、こちらから武力は行使しませんと約束する(すなわち、相手国の不安を払拭し、安心を与える)ことによって、自国への武力行動を思いとどまらせるということです。

この憲法9条による宣言を、世界の構造を交換のあり様から捉えようと試みる柄谷行人さんは、その著書『憲法の無意識』の中で、「贈与と呼ぶべき」だと言います。国際社会に向けられた「贈与」、贈り物であると。

私の住む田舎では、「おすそ分け文化」が比較的残っているように思います。時々近所のおばちゃんから自家製の野菜や果物をいただきます。すると私も、何かお返ししなければならない気持ちになります。実際には私の耕す100坪の畑には、そのおばちゃんにお返しできるほどのものはなく、いただいたままになることが多いですが。

マルセル・モースは『贈与論』の中で、贈与には返礼を義務付ける「力」があり、その力は贈り物に宿るハウ(精霊)によるものだと、マオリ族の例を挙げます。そして、このハウは生まれたところ、あるいはもとの所有者のもとへ帰りたがると。しかも、贈られたものと同等かそれ以上の価値のものをお返ししない限り付きまとうというのです。

「安心」の贈り物を受けた国は、何かお返しをしなければならなくなるということになります。しかも、贈られた「安心」以上の価値あるものを。

思えば、「贈与」には仏教の「布施」「利他」に通じるところがあるように思います。また、仏典には「すべての者は暴力におびえ、すべての者は死を恐れる。わが身にひき比べて、殺してはいけない。殺させてはいけない」(ダンマパダ129偈)とあります。殺されたくない者は他人を殺してはならない。自分がして欲しくないことは、他人にしてはいけない。ならばこそ、自分がして欲しいことを相手にさせていただく。平和で穏やかな生活を望むならば、個人であれ、国であれ原理は同じはず…。

(WCRP会報2022年12月号より)

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