過去の宗教対話会議に関する資料に、時折目を通すことがある。諸宗教の代表諸氏の言葉には度々感銘を抱かせられるが、中には、その後の自分の価値観に大きな影響を与えたものもある。
たとえば、1997年比叡山宗教サミットにおける米国ユダヤ人委員会諸宗教対話部長ディビッド・ローゼン博士が、スウェーデン・ルーテル教会クリスター・ステンダール主教の言葉として伝える、宗教対話のための基本的な三原則だ。
それは「第一に、他のコミュニティを見るときには常にその最良のものに目を向けること。第二に、自分たちを理解するのと同じように、他のコミュニティを理解するよう努めること。第三に、神聖な羨望の念を抱く余裕を持つこと。
他の宗教的伝統の中に特有の美や見識を見出せることは、決して自身の宗教に対する背信行為にはならない」というものである。
これらの原則は宗教対話に限ったものではなく、人が異なる他者と接し、よい関係を維持する上で、欠かすことのできない普遍的倫理・方策だと思う。
同博士は別の箇所で、このような原則に通じる精神を、「神学的謙虚さ」という印象的な表現で言い換えてもいる。
キリスト教、ユダヤ教の宗教者を介して伝わったこの智慧が、イスラーム教徒である自分の強い共感を得るというのも、面白い話だ。
そういった意味でも、各宗教諸派の内から、最良の形とまではいかないまでも、自らの信仰をよりよい形で実践し、提示できる者どうしが会する宗教対話の場は、非常に意義深いものと実感している。
そして、そこで各代表が見出した他のコミュニティの「最良のもの」を、自らが属する宗教宗派の信徒によい形で伝達・還元していくことにより、宗教対話と理解はより効果的で広範なものとなるのだろう。
2002年開催の同サミットの中で、英国国教会宗教間協議会顧問マイケル・イプグレイブ師が、「…自らの信仰集団の中で、他の宗教に対して教えていくということは大事」と言った通りである。
学びの尽きない宗教対話の世界だが、そもそもWCRP日本委員会青年部会の参加へと不精な私の背中を押してくれたのは、同委員会監事を務め、日本ムスリム協会前会長でもあった樋口美作先生である。
樋口先生は、昨年のちょうど今頃お亡くなりになった。この場をお借りして、樋口先生、および同様に私を青年部会の参加へと強く鼓舞して下さった当事の青年部会幹事長・石川清哲師に、改めて感謝の念を申し上げたい。
(WCRP会報2020年4月号より)