公益財団法人 世界宗教者平和会議日本委員会

Heartful Message

こころの扉

平和の維持に地道な交流と対話を

日蓮宗総本山身延山久遠寺総務・WCRP日本委員会評議員 持田貫宣

第二次世界大戦は日本がポツダム宣言を受諾した昭和二十年八月十五日を以て終結しました。それから七十五年が経過しました。
七十五年の間、世界各地では戦争があり、紛争がありました。その数は百二十余に及びます。そしてシリア内戦のように未だ解決しないものが多々あります。
その中で日本は一応平和が保たれていました。
しかし今、北朝鮮を仮想敵国にしたり、中国の脅威を誇大視したりしています。
人類はそんなに戦争や紛争が好きなのでしょうか。過去の経験から何も学ばないのでしょうか。
多くは独立戦争です。それから国境紛争です。
一番の問題は国家があること、人種の相違ですが、宗教と所得格差が影響してきます。
武力を用いないで対話で解決することが出来ないのでしょうか。言葉の違いを克服して解り合えないのでしょうか。
日本にはロシアと北方四島、中国と尖閣諸島、韓国と竹島という領土問題が在ります。いつまでも綱引きをしないで、譲り合って解決する方法を選ぶべきです。
私はアメリカの原爆投下やロシアの侵攻に対して許せない気持があるのですが、そうしたら、同じように中国や北朝鮮や韓国の人々も日本に対して当然、許せない感情は持っていると思われます。
私は昭和十一年に東京の下町で生まれました。昭和二十年三月十日の東京大空襲で助かりました。小学校三年生になるところでした。あの大虐殺を忘れることが出来ません。
防空頭巾に火が付いてやがて燃えだし、隅田川に飛び込む人を見てきました。今スカイツリーがある、その横の北十間川は溺死体で川面が見えませんでした。横川小学校の講堂は隅に追いやられた黒焦げの死体の山でし
た。言問橋では橋の中央に黒焦げの死体で山が出来ていました。十万人以上が殺されました。
米軍が千葉県の九十九里浜に上陸するのではないかという予想から、本所区(※現在の墨田区の一部)の小学校学童疎開は千葉県から岩手県に変更になり、私は小学校三年生でしたが、小学校四年生の男子と六年生の女子と一緒に一関市にモグリ疎開をさせられました。四月から十一月まで米飯を食べた憶えがありません。餓死寸前で親が迎えに来てくれました。歩けませんでした。
戦争は絶対にしてはいけません。戦争を知らない人ばかりになった将来が怖いです。
日中友好宗教者懇話会という日本で一番古い中国親睦団体で四十五年間活動してきました。
そして日韓仏教交流協議会にも長らく関係していました。日中韓国際仏教交流協議会の役員であります。
北東アジアの緊張緩和と平和を築くには宗教者の緊密な交流、親睦や対話の深まりが欠かせません。相手を敬うことから始めましょう。

(WCRP会報2020年8月号より)