公益財団法人 世界宗教者平和会議日本委員会

Heartful Message

こころの扉

平和への祈り

日枝神社宮司・WCRP日本委員会理事 宮西修治

新型コロナウイルスが猛威を振るう昨今、米中の関係がにわかに緊迫してきている。
七月、アメリカヒューストンの中国総領事館が閉鎖、理由は中国によるスパイ活動等、悪意ある行動の拠点になっているからであり、米国の知的財産と国民の個人情報を保護するためとしている。一方中国もまた、対抗措置として四川省成都にある米国総領事館を閉鎖した。アメリカは新型コロナウイルス感染症拡大の責任に加え、香港や新彊ウイグル自治区の人権弾圧などを追及する構えを崩さない。一方の中国も、これは内政への干渉であり、中国の安全と利益を危険に晒したとして反論している。こういった問題はもちろん海外だけではない。日本にもまた歴史問題や領土問題など、国家間の争点は山ほど残っているのが現状だ。
戦争の火種は常に燻っている。さらに近現代史以降の世界情勢を見ると、戦争の在り方はすこしずつ変わってきている。かつての二度の大戦下では国家同士が戦ったが、やがて冷戦の時代を迎えると大国間同士の代理戦争の時代へ、さらに時代が下るとテロとの戦いが続く時代が来る。戦争が変われば「平和」の意味も変わるかもしれない。戦争を起こすのは国だけではないし、今後も新たな形態の戦争が生まれるだろう。
古代ギリシャの哲学者プラトンは、人間は欲望を拡大させるあまり、経済成長の果てに他国の資源を奪う戦争に発展するリスクを抱えているとした。また十七世紀の哲学者・トマス・ホッブズはその著作『リヴァイアサン』において、人間は国家のような社会性が確立されるより前の自然状態においては常に闘争している、という万人の万人による闘争を論じた。争いは国が生むのか、人が生むのか、どちらだろうか。
人間は歴史上常に争っている。それは世界の神話の世界観でも同じだ。聖書においては出エジプト記からヨシュア記に見られるように、奴隷のユダヤ人たちが戦いの果てに約束の地に到達するさまが描かれる。ギリシャ神話でもゼウスは戦いに打ち勝って主神の座を手に入れ、また人間の英雄もトロイア戦争などの戦争を神々の力を借りて経験してゆくのだ。
平和とはなにか。人間同士の揉め事が無く、穏やかな世の中であることだろう。しかしそのような瞬間は世界史、日本史のどこをとっても見つけるのはなかなか難しい。古代以来、人間は争う生き物であり、それは神話の世界観であってさえも不変である。その度に世界中で人々は悲しみ、祈った。祈る対象は違えども、一途でひたむきなその祈りは国家、人種、宗教の差はなく同じであるはずだ。
日本では昨年、新帝が即位し令和の新時代を迎えた。退位された(現在の)上皇陛下はその式典で「明日から始まる新しい令和の時代が、平和で実り多くあることを、皇后と共に心から願い、ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります」とのおことばを述べられた。受け継がれる平和への祈りが世界を覆い、全ての人が平和への祈りに従事し、争いがなくなることを願ってやまない。

(WCRP会報2020年9月号より)